134) 育児日記 [自伝本『私のこと』]
第一子が生まれて すぐ、育児日記をつけ始めた。
出産した病院で頂いたことがきっかけだが
私自身 産後3ヶ月で仕事に復帰する予定だったため
赤ちゃんの毎日を知る上で、必要不可欠なアイテムである。
入院中も母子同室を希望し、出来るだけ一緒にいた。
生まれて初めてのうんちは、タール便と言われる 真っ黒いベタベタしているものだった。
不思議なことに、人間の最期の時にも出るらしい。
うんちは 徐々に黄色っぽくなり、量や回数・色などをチェックしておく。
看護婦さんにも 基本的なことを教えてもらったりしながら
睡眠時間・母乳の量や回数・オムツ取り換えの時間・機嫌などを細かく記入する。
我ながら 飽きずに一年間 しかも3人共、よく書き続けたものだと思う。
このお蔭で 復帰がスムーズだった。
赤ちゃんの記録のためにつけ始めた育児日記であったが
いつしか 母親としての自分の迷いや、気分を盛り上げるためにも
大いに役立ったのである。
日記には、24時間の正確な記録をつけながら
一日の終りに、その日思ったコメントを書き込んでいた。
最初のうちは、笑った泣いた寝た・・・何をしても可愛い ! おもしろい ! と
小さな変化に対し、ストレートに親ばかなコメントばかりであったが
仕事復帰した3ヶ月からは、育児とサロンの両立に気を使い
コメントも、いかに赤ちゃんのいるサロンを成立させるか 書き込んでいた。
5〜6ヶ月頃になると、突発性発疹やオムツかぶれ、便秘ぎみになったりと
体調に伴い、子育ての知識的なコメントが増えていた。
後半になると、離乳食や発育の様子が多くなり 生活も育児日記も忙しくなった。
だが、自分に役立ったのは そんなことより 自分の気持ちに素直に吐き出した言葉である。
どんなに前向きな人でも、必ず一度や二度は訪れる 子育ての迷いや愚痴の言葉だ。
24時間 1対1の育児になると、母親に逃げ場がなくなる。
主人や親や友人に愚痴を言えるのは、ラッキーなことであるが
私の場合は、ほとんど母子家庭のような生活で 実家は遠く
心配をかけたくなかったので、電話でも いたって明るくしていた。
だが実際は、愚痴や弱音を吐きたかった日は 山ほどあった。
そんな時、日記に本音をズバズバ書いたのだ。
次の日 それを読むと、昨日の自分にエールを送りながら
今日の自分は まだまだイケる ! と元気が湧いてくるのだった。
ずいぶん この日記には助けられたものだった。
今 読み返しても、前向きや後ろ向きの言葉が交互に出てきたり
必死に自分を奮い立たせているのがわかる。
一番記憶に残っている言葉は、日記の最後に書いたコメントだ。
『・・・。こんなに親孝行のいい子だったんだから
将来 なるべくこの子の望むことに反対せず、応援してあげよう・・・。』
あ゛−−− 頭が痛い・・・。
人間は どんなに感動した言葉でも、月日が経つと 忘れてしまう生き物だ。
あんなに 肝に銘じたはずなのに・・・。
まさか、今になって 本当の意味で私に助言してくるとは
思ってもみなかったのである。
2010年03月27日(土)