124) 出産プラン [自伝本『私のこと』]
安定期と言われる5ヶ月が過ぎた頃、お腹もだんだん目立ってきて
お客様をはじめ、外部の方々にも これからの出産について話し始めた。
お客様の反応は、思ったより大きく
SHIMA 時代を知っている方は、まず結婚したことにも驚いていたが
妊娠・出産に至っては、まるで 悪魔が母性に目覚めた如く
ものすごい反応であった。
「信じられない ! 」 「イメージになかった ! 」 「似合わない ! 」 とまで言われた。
≪私って どんな人だと思われていたのだろう・・・≫
自分の中では、意外と女らしく 意外と母性豊かであると思っていたのだが・・・。
まぁ、どちらにしても 私の出産に過大な期待と興味を持ってもらえたことに違いない。
だから、この話題に関しては 私の細かい気持ちを含め
全てのお客様に しっかりお話をさせていただき、かえって良かったのである。
一番肝心な事は、どれくらい休むことになるか・・・であろう。
私の気持ちは 決まっていた。
母と同じく 出産のその日までサロンに立つことだった。
子供が生まれてからは、母子共に安定する3ヶ月を目安に
復帰しようと決めていた。
予約の取り方も、陣痛がはじまるまで通常通り受け付け、
ただし、来店の前に陣痛がはじまった場合は
他の担当になることを了承していただくことにした。
後は、この予定を実行するために 体の管理を怠らないことと
産休の間のスタッフの全ての仕事のクオリティーを考えることが重要だった。
スタッフにとっても、オープン以来 2年目にして 早くも私がいない中
全てを任されるプレッシャーは、かなりのものであっただろう。
こんなことも いい機会として、全面的に信頼していくことにした。
そして もう一つの課題は、生まれた後の赤ちゃんの居場所である。
私が 3ヶ月で復帰するということは、必然的に 赤ちゃんはサロンで見るということだ。
主人は、 「それは無理でしょ、預けないの ? 」 と説得していたが
私は、預けることなど 全く考えていなかった。
1才からの保育園からならまだしも、本来 母乳を飲んでいる時期に
他人に預けなければいけないとしたら
私は ただ産んだだけのマシーンにすぎないではないか !?
子供ができたとわかってから すぐに このイメージは出来ていた。
そう、これも母譲りの考え方だった。
イメージは、こうだ。
まず、店内と同系色のベビー・ベッドを置き できるだけ赤ちゃんワールドを消し去った。
復帰する3ヶ月で断乳・・・ 仕事中に母乳はあげられない。
もともと 母親が仕事に復帰すると、頭の中が仕事モードになり
母性ホルモンが減少、母乳が出にくくなるらしい。
個人差はあるだろうが、現実に私も すんなり断乳に踏み切れた。
出店する時に、もともとあったカウンターを残して改装していたので
ミルクなどの 水回り関係もバッチリ整っていた。
あとは、赤ちゃんのタイム・スケジュールの把握が重要だ。
むやみに 泣いたり、ミルクかうんちか・・・など、あたふたするのではなく
出来る限り、母親の私が把握しておく必要がある。
これだけは しっかり頭に入れて 復帰までの3ヶ月を過ごさなければいけない。
そして、様子を見て ベビー・シッターに来てもらう・・・という案も用意しておいた。
田舎の個人の自宅を改装して美容室をやっている所では
子供を育てながら仕事をすることなど 当たり前である。
母もそうだったように・・・。
都会の、代官山の美容室だって 不可能ではない !
都会らしく スマートにやればいいのだ。
独立したからには、私流のやり方で精一杯頑張りたかったのである。
私なりの希望とお願いを、スタッフ全員と主人に説明して 了承してもらった。
このイメージから、約8ヶ月後・・・。
代官山で初めての “赤ちゃんのいるサロン” 誕生 !! と なったのである。
2010年02月19日(金)