125) 親として [自伝本『私のこと』]
安定期を過ぎると、少しずつ つわりもなくなり食欲もでてきた。
仕事も順調で、毎日が楽しかった。
お客様との会話も、以前より 妊娠・出産・子育て などの
プライベートな話やアドバイスなどを頂き
女性ならではの情報交換に盛り上がった。
男性社会では、自分の子供の話など あまりしないらしいが
この情報交換は、ある意味 子育てのバロメーターにもなる。
子育てとは、単に 産んで育てるだけのことだが
どこの病院で産んで、産休育休の取り方、名前の決め方、予防接種の考え方、
ベビー・ベッドやバギーを買うかレンタルにするか、
保育園や幼稚園の選び方に至るまで、さまざまな考え方があるのだ。
もちろん、住んでいる場所や親の職業、年収といった
“仕方のない条件” をふまえた上でのことだ。
ただ、親というものは 子供を出来る限り良かれと思う方向に導きたいものである。
だから、悩むこともある・・・。
産む病院を決めたのは、私の血液型が Rh− だったため
とにかく安心できる総合病院で、という気持ちから 港区にある S 病院で出産することにした。
当時の自宅から 車で10分といったところだ。
産み方は、自然分娩を希望した。
今では、無痛分娩を希望する妊婦さんも多いと聞くが
私は、出産の痛みに とても興味があった。
母に出来て、私に出来ない訳はないし
昔から自然に行なわれていたやり方で
まさに、“腹を痛めた子” という実感が欲しかったからだ。
病院の待ち時間に、出産向けの雑誌を眺めていると 興味深い記事が載っていた。
いわゆる スピリチャルな話だが、赤ちゃんにまつわる不思議な体験談だった。
4才の男の子がいるご夫婦が、そろそろ2人目が欲しいと相談していると
その子が母親のお腹を指差し、「女の子がいるー ! 」 と言った。
まさかと思い、その時は ごまかしていた。
それから2年が過ぎ、待望の第2子の女の子が生まれた。
女の子を見た長男が一言・・・。
「また会ったね・・・」
以前の会話を忘れていたが、この一言で思い出し驚いた・・・という話だ。
このような話は山のように載っていた。
新たに生命が生まれ出てくることに、ますます興味が湧いたのである。
そして、自分の子供の頃の いろいろあった話はさて置き
お腹の中の小さな命が、この先どんな大きな人生になっていくのか
親として、何をしてあげられるか・・・などと考えているうち
どんどんお腹は大きくなっていき、私のお腹を蹴るまでになっていた。
巷では、英才教育などという名目で 子供のために産まれる前から
聞く音楽はこれがいいとか、こんなおもちゃが頭を良くする・・・
などと 情報ばかりが先走る世の中だが、
そんなにたくさんのことに全部とらわれていたら
きっと母親は、マタニティー・ブルーになるに違いない。
私は思う。
母親は、大きな声で いつも 笑っていればいいのだ。
お腹の中の赤ちゃんも、きっと聞こえているはずである。
≪楽しそうだなぁ〜≫ と。
私は、妊娠中も仕事中心の生活であったが
お客様との会話では、相変わらず 大きな声で笑っていられたのである。
最高の英才教育ではないか !
一般論の情報にとらわれず、したいことを楽しんですることが
一番大切なことだと思う。
この先も、子供のことで悩む時もあると思うが
意外と子供の方がタフである・・・、
与える環境に悩むより、楽しそうな親の背中を見せることこそが
きっと いい教育になるであろう・・・と信じたい私であった。
2010年02月23日(火)