14) 母の料理 part? [自伝本『私のこと』]
ある日のこと
遊びに行った お友達の家で、夕食を頂くことになった。
い〜い香りがして、テーブルについた時、目が見開いた。
≪ハンバーグだ !! ≫
胸がドキドキしたのを覚えている。
きれいな小判型のハンバーグに、にんじんやコーン、ほうれん草のバターソテーまで・・・。
三色 揃った・・・。
まさに横綱級だ!
もう どうやって食べたのかは 覚えていないが
初めての味、おいしかった。
帰宅してすぐに、母に絵を描いて説明した。
まるで 遠足のお弁当事件を思い出す・・・。
自宅は、私が9才の時 建て替えたのだが
1F が美容室、2F・3F が住居 という構造で
その頃には めずらしく、鉄筋コンクリートの3階建てだった。
今 思えば、それは 父と母の “頑張った証し” だったが
その頃の私には、コンクリート3階建てより “ハンバーグ ” だ。
母は仕事の合間をみて、夕食を作りおきしていた。
夕食の時間になると、父と兄と私だけで食べ始め
母は お店を閉めてからの、遅い夕食となる。
ところが ある日、学校から帰宅すると 台所で母が 何か作っている・・・。
≪ハンバーグ?≫
ボウルの中身をみると たぶんハンバーグだった。
「どうしたの?」 と聞くと、 「ハンバーグよ、今日はハンバーグ!」
という母は とても満足気だった。
どうやら 近所のお友達に作り方を聞いたらしい・・・。
と、その時 ・・・ 「あっ!」 と 私は叫び、顔から笑顔が消えた。
母は 天ぷら油の中に そのハンバーグになるべきはずの 小判型のひき肉を
素揚げしてしまったのだ。
作り方までは 聞いてきて、ちゃんと メモ書きされているのだが
最後に “フライパンで焼く” とは 書かれていない。
焼くのが 当たり前だからでしょう・・・。
その日の夕食は、衣のない ガリガリのメンチカツもどきの 黒い物体だった。
父は 箸もつけず、私と兄は もう 笑うしかなかった。
母の言い訳は、純粋だった。
「フライパンで焼くとは 夢にも思わなかった・・・」 というのだ。
私達 兄妹は、≪揚げるとは 夢にも思わなかった・・・≫ と
心に 同時に叫んだに違いない。
私は 今でも、ハンバーグを焼く時
この惨事を 必ず思い出して 苦笑している。
2009年01月07日(水)