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13) 母の料理 [自伝本『私のこと』]

母は 田舎の小さな村の出身だった。
言葉にも すごい方言(なまり)が あるが
食生活も かなりのものだった。
 
当時でも 一般家庭に、洋食文化は 普及していたはずだ。
現に 私の誕生と同時期に、電子レンジが 我が家にもあったらしい。
なんだか 重そうな扉のついた すごい便利な高級品というイメージで
台所が一変したそうだ。  私もこれを覚えている。
初代レンジは、25年位 使い込んでいた。
ほとんどが “あたため” の ためだった。
 
母の作る料理は、まずくはない。 というより おいしかった。
ただ、色合いは 茶系で 純和風だ。
 
この頃、お友達の家に遊びに行くと
手作りドーナツと かわいいキャラクターのついた 子供用のフォーク
それに、かわいいコップに注がれたオレンジジュースのセットメニューだった。
私は まるで レストランへ行ったような気分になり、うれしかった。
この時 ≪私も将来 主婦になって 子供に こんなおやつを作ってあげるんだー≫ と
心に誓ったものだ。
 
その頃、母のおやつは というと、“みそおにぎり” だったから・・・。
一口サイズのもので、ご飯を片手でにぎり、まわりにお味噌を くっつけただけの
とても この年齢の女の子には 受けないビジュアルだ。
 
でも、よーく考えてみると、そう思った私なのに
母と同じ道を選び、主婦になりたいとは思っていない。
そればかりか、今
子供達に 時々 片手サイズの “ミニみそおにぎり” を作ってあげたりしている。
しかも、子供達には 食べやすく、朝食には 好評だったりしている。
当時、私のために 母なりの工夫で、少しでも食べやすく と考えられたものだと
今は 親の立場で想像できる。
 
ただ、この経験やお弁当事件を通して、おいしいだけでなく
子供達には 出来るだけ “うれしい食事” というものを 心がけているのだった。
 
まぁ 考えてみれば、仕事をしながらでも 手作りドーナツやクッキーなどは、作れるものです。
当時の母には、そのアイディアが なかっただけなのです。
 
今の私の心がけは、この母のお陰といってもいいでしょう。
 
まさに、反面教師なるものは、子供に ガッツとアイディアを与えるものなのである。
 
 
 

2008年12月28日(日)

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