年表

91) ツジガハナ [自伝本『私のこと』]

トップスタイリストの A さんが公休を予定している日に
あるお得意様から予約の電話が入った。
 
その方は、いわゆる お金持ちのご婦人で
ご主人と共に 「園遊会」 に出席するために
お着物用のアップセットをして欲しい、という予約の電話だった。
 
「園遊会」 とは、毎年 春と秋の二回、赤坂御苑で催され
天皇皇后両陛下が、立法・行政・司法 各機関の要人、各界功績者などを
お招きになって 親しくお話される・・・という ものすごい式典である。
 
私も 何度か TV などで拝見したことはあるが
とにかく特別なことであろう。
 
トップスタイリストの A さんは、その日 お休みということもあり
セットの得意な私に 担当して欲しい、と頼んできた。
 
私は、快く 引き受けたのだが、当日 最悪な事態となる。
 
予約時間通りに来店された そのお客様は、30代の美しい女性だった。
 
私は、かるく自己紹介し
早速 ご希望のスタイルを伺うヘアーチェックに入ろうとした。
 
だが・・・
彼女は、私を 頭の先から足の先までチェックすると、不機嫌そうに
「あなたが担当するの ? 」 という言葉を吐き捨て
今日は どれほど特別なのかを あれこれ 説明してきた。
 
一応、この私でも 一通り 認識があった話の内容ではあったが
20代前半の私が担当することに 納得のいかぬ様子の彼女は
切り札とも言える言葉を口にした。
 
「今日のお着物は、“辻が花” なの !   ご存じ ? 」
 
“辻が花” とは、
古くは 室町時代中期から江戸時代初期までの間に栄えた
絞り染めの着物の呼び名で、その特徴は
絞り染めを基調として、描き絵・摺(すり)箔・刺繍(ししゅう)などを
施したものを俗に 辻が花 と呼ぶが
その発生の時期、展開、名称の由来などは 未だ深い謎に包まれている。
 
当時、詳細は知らなかったが
母が着物好きで、実は この辻が花を一枚所有していたことで
高価な着物であること、高いものでは 数百万単位であること、など
蘊蓄(うんちく)を聞かされていたので、対応は早かった。
 
だが、それが益々 彼女のイライラを最高潮にさせ、とうとう喧嘩腰になってきた。
それは、社会に出て 初めての “堪忍袋の緒が切れた” 瞬間だった。
 
「いくら高いお金を払ってもいいから、最高のセットをしてちょうだい ! 」
 
私は、ある意味 冷静に  「精一杯やらせて頂きますが、料金は定額で結構です。
いくら払われても やれることは同じですから。」 ・・・
 
ものすごい沈黙が続き、私は あっという間に “スーパー夜会巻き” を仕上げた。
腹が立つのを抑えつつ、かえって かなりの集中力でやり終えた。
 
後ろ鏡を見せると、彼女はビックリした様子で
「ありがとう、気に入ったわ。」 と
お釣り分のチップを残し、帰って行った。
 
“辻が花” に勝った ! と思った。
 
夜になって、この事を母に電話で説明した。
 
よく考えてみると、美容師という仕事は
土地の売り買いじゃぁあるまいし、物の価値に合わせた値段ではなく
どんなに汗をかこうが かくまいが、一つの工程につけられた値段によって
お金を頂いている・・・。
 
もっと言うならば
辻が花だろうが バーゲン品の浴衣だろうが、きれいになるために
我々は 常に一生懸命やらせていただいているんだ ! ということを
忘れたくない一日であった。
 
 
 

2009年10月20日(火)

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