93) ビッグシルエット [自伝本『私のこと』]
入社してからも 様々なショートカットをしていた私だが
2年目くらいから ウイッグや帽子をかぶり
約4年間、一度も切らず 腰まで伸ばした。
その髪を変える時が来た。
最初は、ちょっと きつめの “くりくりカーリー” だったのだが
どんどんエスカレート・・・ 有り得ない細かさの “スーパーカーリー” になった。
シルエットは、肩下15cmくらいの長さで 横幅は肩幅以上・・・
色も形も、まるでライオンの鬣(たてがみ)のようであった。
この頃は、まだ ティナ・ターナーばりの黒人風カーリーヘアーは珍しく
かなり目立っていたので、他人に凝視されることは当たり前。
時には、酔っ払いにからかわれたり・・・
電車での隣の座席は、いつも一人分空いていた。
東京でさえ そんな様子だったから、帰省した時は 人間を見る目を超えていた。
父と長岡駅内のショッピングモールを歩いている時のこと
後ろから、 「すごいもんだなぁ〜」 と父の声。
「通り過ぎる人、全員おまえを振り返っていくぞ ! 」
私は もう慣れていたことだが、父にとっては おもしろい現象だったことだろう。
そんな特別なスタイルには、それ相当の努力が隠されている。
まずは、パーマをかけてくれる後輩達・・・。
通常、せいぜい2人で巻くパーマを
ヘルプの人(ロッドを手元まで出してくれるアシスタント)を入れて
8人がかりでかける必要がある。
ロッドは 6mmを約260本使用するため、一店舗にある在庫では不足になり
近隣の支店のメンバーを、ロッド持参で集合をかけるのだ。
営業後にやり始めるため、仕上がりは終電には間に合わない。
スタッフも、いい迷惑だったことだ。
巻かれる私も、大変な覚悟がいる。
なぜなら、あまりに細かいスライスで260本のロッドをおさめるため
地肌の面積を超える量となり、薬を塗布するころには 地肌が裂けてしまうのだ。
引っ張られる痛みと 薬液が沁みる痛みに 耐えなければならない。
かなりストイックな事をしていたのだ。
美容師でなければ出来ないことだ。
こんなことが、年2回 イベントのように行われていた。
このビッグシルエットは、約4年間続き
私の美容師人生のトレードマークになるのであった。
2009年10月27日(火)