年表

74) 手荒れ [自伝本『私のこと』]

幼い頃から 美容師の母の手荒れを目にしていた私だった。
 
母の手は、皮膚が薄くなりすぎて 指紋がなくなっている。
「私が犯罪を犯しても捕まらない ! 」 と自慢しているが
その前に 逃げ遅れて捕まるだろう (笑)。
 
いつも 指にはバンソウコウやテーピングで ボロボロだ。
その手は、未だ現役である。
 
美容師である以上、手は荒れるもの・・・と覚悟していた。
私の手荒れもヒドイものだった。
 
私がインターン生としてシャンプーばかりやっていた頃は
今よりもシャンプー剤の質も悪かったせいか、どんどん酷くなる。
同じ手荒れに悩んだ美容学校時代の友人は、皮膚科に通い
とうとう辞めてしまった人もいた。
私は覚悟の上だったので、皮膚科の先生の言葉をうのみにせず
薬を塗って 治療に専念した。
レッスン後には、お湯でしっかり洗い、冷たい水で再度洗う。
薬はキズ口に すごくしみた。
そして 綿の白い手袋をして電車に乗る。
まわりの人の妙な視線を感じる。
でも、手を見せる方がよっぽど恥かしいくらい 荒れていた。
 
SHIMA では、一年目のスタッフにユニフォームを支給していた。
私達のランクの時は、上下 白のユニフォームだった。
清潔感があって良かったのだが、問題は私の手だった。
私の手は、荒れに荒れて血まみれだ。
ひどい時には、割れ目が指を一周し
まるで 切れ目を入れて焼いたウインナーのように腫れていた。
痛いだけなら まだしも
トイレに行くたびに、白いズボンのファスナー周辺が血で汚れてしまう。
場所が場所だけに 私はとても辛かった。
ある日は、トイレに行って ズボンをはく際
あまりの指の痛さで 手がケイレンし、トイレから出れなくなる程だった。
私は 独り 泣いてしまった。
 
そんな時、私が休憩のため スタッフルームで休んでいると
当時の店長が、 「手を見せてごらん」 と言った。
私は、こんな手を見せたら 「しばらく休みなさい ! 」
とでも言われてしまうのかと 最後まで見せなかった。
ただ、 「大丈夫です。」 という言葉だけが精一杯だった。
 
先輩の中には
「スタイリストになって、シャンプーやパーマ液に触れずにすめば、すぐ良くなるよ ! 」
と慰めてくれたが、結局 スタイリストになっても完治せず
10年以上 手荒れに苦しんだ。
 
今では あまりひどくならずに済んでいるが
やはり “職人の手” というべき、しわくちゃで
冬などは、まるで おばあちゃんのような手だ。
 
だが、帰省し 母の手荒れを見るたび
≪私なんて まだ ひよっこだぁー ! ≫ と
美容師歴60年(?)の黄金の手に ひれ伏すのであった。
 
 
 

2009年08月18日(火)

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